時間とお金のない妻子持ちサラリーマンでもできる資金0から月10万円を稼ぐ副業Navi

ボクのように自分の時間とお金がない妻子持ちサラリーマンでも月10万円~を稼ぎ出す副業テクニックを伝授します

生い立ち

私は秋篠宮さまがご結婚された1990年に生まれました。当時はとても活発でボクを5分放置してしまうと、家のなかで竜巻が起こったように散らかっていたそうです。その割に病弱で、子供が患う病気は全てかかり手がかかったと今でも言われます笑。

 

私が5歳になる1995年に両親が離婚。母親の実家がある千葉県に移り住みました。実家は祖父母が自営で蕎麦屋を営んでおり、私の母もそれを手伝っていました。

 

自営の飲食業って意外と仕事が多くて朝は食材の仕込み、夜までお店を営業して、閉店後は店内の清掃と帳簿の記入と重労働。仕事時間は午前9時から遅い時では午後10時を過ぎることもありました。

 

余談ですが現在はコロナ禍で上記の仕事を毎日頑張ってる方々が、この仕事の大変さを知らない政府の政策で危機に晒されている事が大変心苦しいです。読まれている個人営の方々がいらっしゃいましたら、どうか希望を捨てず頑張ってください!

 

話は戻りますが、その時の私は毎日誰にも相手にされず、母が仕事を終える頃には心ここに在らず状態で毎日寂しい日々を送っていた記憶があります。当時の友達は折り紙でした笑。

 

小学校に上がると仲の良い友達ができ、毎日遊んでいたので寂しいという気持ちは無くなってましたが、当時流行していたのは、ポケモンなどのゲーム機や遊戯王カードといったボビーを使用した遊びで「貧乏だから、、、」と言う理由でそれらのホビーを持ってなかった私は周りの友人がとても羨ましく思えました。


ゲームで遊んでいる友達が羨ましかったので、この頃の私は友人を積極的に外に連れ出そうと努力してました笑。

 

中学校に上がるとゲーム機→携帯電話(当時はガラケー)になってました。当然携帯電話も買ってもらう事はできず、周囲からは仲間外れにされていました。

 

部活はバレーボール部に所属していて、そのメンバーは優しく仲良くしてくれてましたが、「携帯を持ってないというステータス=他の人より劣っている」と自分で思ってしまっており、周囲に上手く溶け込めず心に穴が空いている感じでした。


気づけば自分の周りには何もないような気がする毎日を送っていて、生きていて何が面白いのだろうと感じていたある日、これからの人生を左右する2つのモノと出会いました。

 

1つ目は村上龍さんが執筆した「13歳のハローワーク」という本です。


社会現象にもなった本なので、ご存知の方も多いと思いますが要約するど、好奇心には無限の可能性がある!人生を開花させるのは好奇心だ!という感じの本でその他にも様々な職業やその仕事内容が書かれていました。


周囲からの影響と元々の性格からすっかりネガティブ引っ込み思案になっていた私に、自分のやりたい事に挑戦してみようと声をかけてくれる様な本でした。

2つ目は学校に掲示されていた、ある高校の受験案内です。

 

日本では知らない人はいないくらいの大企業が運営する企業内高校のようなもので

・授業料全額免除(修学旅行もあり)
・お給料をもらいながら授業料を受けられる
・食事付き寮生活(寮、食費はお給料から天引き)
・卒業後はその企業に100%内定

などの内容でした。当時は特にこの受験案内に魅力はそこまで感じませんでしたが、周囲の人が全て変わるというのと、母親の「貧乏だから」という言葉を聞きたくなかった私は、自分探しをしてみようという思いもあり受験に踏み切りました。

 

母に相談した時も文句は言われず、受験申請まではスムーズにできました。しかし、ここで新たな壁が私に立ち塞がりました。御察しの方もいると思います。

 

そう!勉強です笑。

 

前述に特に勉強については触れてませんが、学力は全校生徒の平均位にでした。しかし、この学力では当然志望校の学力には到達せず、人生で初めて勉強と向き合いました。

 

受験科目は国語、数学、英語の3教科+技術的な適性検査、面接です。受験を決めた7月頭から受験月の12月まで計画も立てず、がむしゃらにひたすら勉強しました。(多分人生で初めて頑張ったんじゃないかな笑)その甲斐あって結果は合格でした。


この時、努力って言葉が少し好きになりました。
ここで努力をすれば相応の結果を作り出せると学びました。最近まで忘れかけてた学びでしたがもう一度思い出してブログ頑張ってみようと思います。次回は高校生活のことを書きます。
最後までよんでいただいてありがとうございました!